さてさて。ぼくのFXの師匠の話、書いちゃおうとおもいます。師匠から許可が出ましたので。こういう記事も、ぼくのことをよく知ってもらうためにも書きたいなーと以前から思ってたんですよ。個人FXトレーダーとして、まだ駆け出しのころに、ぼくはツテをたどって、とある方に弟子入りしたんです。ぼくの師匠の総資産は、ぼくが弟子入りした当時ですでに17億円。よく言われる、オモテに出てこないタイプの億トレでした。
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目次
相場参加していくにあたって考えたこと
基本的にぼくの場合は、新社会人として就職してからずっと為替相場の分析はしていました。
なので、チャートの見方の初歩的なところとかはある程度わかっているつもりだったんですよね。
それで、いざ個人でもFXをやってみようと思って、とりあえず口座をつくり、デモでエントリーしようとしたんです。
しようとしたんですが。
そのとき、すぐ感じたんですよね、
「あ、値差を抜くトレードの仕方を、自分はわかってないな」
と。
これ、人によってはちょっと不思議に感じられるかもしれません。
ひょっとしたら、
「お前は為替のプロじゃないのかよ!」
と思う方もいるかもしれませんね。
でも、当時の自分にとって、職場での為替取引と証拠金取引のFXって、ちょっと異種のもののように感じられたんですね。
職場での決済業務と値差を抜くトレード
なぜちがうもののように感じてしまったかというと、それは定められた期日までにレートを選択して決済を執行する、いわゆる実需筋としての取引は、あくまで、
「買い切り、売り切り」
のものだったからです。
買い切りって、例えば自国通貨を買う取引なら、売り上げた外貨を円に換えて、それで終わりってことですね。
会社なので、当然円に換えた外貨は再び外貨に換える必要はないわけです。
「俺の給料はポンドで振り込みをよろしく!」
とかっていう変わった社員がいない限り。笑
それに対して、FXって証拠金取引ですからね。
相場に投じたお金は、あくまでFX会社のものであって、変動相場にそのお金を投じたあとは、きちんとFX会社に返さなくてはいけないわけです。
当然、買ったら売らないといけないし、売ったら買わないといけない。
つまり、FXでお金を稼ぐには、取引を2回しないといけないわけですね。
その手段として、値差を抜くわけですが、当時は、ちょっとまだその感覚に関しては自分は疎いなと思ったんです。
実際に相場参加するにあたって、切実にそう感じたので、もうそうなったら即行動ですよね。
個人でFXをしていくにあたってのテクニックを、どなたかに教わろう、と考えて。
その後、いろいろな方面に相談させてもらったりしたんですが、数か月を経て、ようやくとある方に会っていただけることになったんです。
ちょっと緊張のDakar
待ち合わせ場所は、赤坂でした。
その日、ぼくは赤坂見附の駅の階段を上がって地上に出たんですよね。
ホント、ぼくがはじめてFXの師匠に会った時は、数日前からだいぶあれこれ考えましたからね。
ホームを降りて、地上に出て、ちょっとした小道に入ったところに、ぼくのFXの師匠は立っていて。
その時は、雨だったんですよ。
雨の赤坂見附。
なんだか、演歌のタイトルみたいですが。笑
でも、なんだか今思い返すと、そのシーンはわりと映画みたいなシーンだったんですよね。
夜だし雨で傘さしてるし、最初は声は聞こえるけど顔は見えませんでしたからね。
ぼくのFXの師匠は、いわば個人でのトレーディングをほぼ極めていたような方でした。
だからぼくは弟子入りしたんですね。
弟子入り直後は特に、かなり密にコミュニケーションをとらせてもらってました。
弟子入りのハードルは高かったんですが、それだけに一度弟子入りさせてもらうと、きちんといろいろ教えてもらえて。
押しの強いタイプの方かなーとか思ってたんですが、やはりそこは常識人。
この方に弟子入りしてよかった、と強く思ってました。
そうそう。
師匠の人物像がだんだんわかってくると、トレーダーも時代背景に左右されるんだなぁ、みたいなことも思うようになってました。
世代の違いと相場解釈
この記事↓、読んでいただけました?
この記事なんかはじつは、ぼくのFXの師匠との会話からのインスピレーションで書いた部分もわりとあるんですよね。
というのは、単にスキャルピングと言っても、相場に挑んでいく際の「心持ち」には、やっぱり世代によって若干の差があるなぁということは当初から感じていたからです。
ぼくの師匠、当時は50代後半だったんですが、かなりきちんとした投資という感覚で為替相場に向き合ってる方なんですね。
そういう感覚って、世代的な背景もあるなと思っていて。
手法を教わっていく中では、やっぱりそういうことも意識するようになるじゃないですか。
そういうことまで意識することは、手法を体得するための条件のひとつだったなぁとも思ってますしね。
ぼくの師匠は、華やかなバブル景気の時代をよく知りつつ、そのあとに相対的に自身の銀行口座のお金が急激に減っていった経験を繰り返すまじという意識が根底にある感じなんです。
周りが湯水のようにお金を使っていた中で、自分も流されるようになにも考えず同じことをしていたことへの反省、というか。
ご本人の言葉を借りると、それは
「経験からの学び」
とか、
「なにくそ精神」
ということなんですが。
一方ぼくはというと
逆に、ぼくの側の考え方も、当時師匠と話を続けていく中でいろいろと自覚するようになってました。
ぼくなんかは、物心ついた時から、いわゆる
「失われた20年」
の時代の人なんですよね。
もう不況、デフレが体に染みついてしまっていて、それが普通だと思っているわけです。
どちらかというと、堅実に貯金する人が周りに多いような世代。
このへん、やっぱり明らかにジェネレーションギャップはありますよね。
失われた、とか言われても、そもそも失われる前の生活がわからないから、失われた感自体無いんです。
さまざまな機会で知見として知っても、肌感覚ではわからないんですね。
お金をどんどん使っていくようなことは、どちらかというと単なる浪費で、褒められるようなことじゃない、と。
一方、
「金は使うもんだ」
「金は使うから働きがいが出るんだろう」
の精神が、ぼくの師匠の世代の考え方。
こういうことを、学生時代にアルバイトをはじめた頃とか新社会人になったタイミングとかで改めて知ることになるのが、ぼくくらいの年代なんですよね。
2者のちがいは唯一、世代
なぜこんなことを書いたかというと、ぼくと師匠の唯一のちがいは、世代だからです。
基本的にぼくは、FX手法をまるまる師匠から教わったので、戦略そのものは師匠のものと完全に一致してます。
もうそれは、完全にマネしてるわけなので。
そういう中で、さらにそれをぼくからみなさんに伝えていくとき、唯一師匠の手法が
「曲げられて」
伝わる可能性があるとしたら、このあたりの時代背景かなと思うんですね。
基本的には、師匠の手法は、少ないお金を爆発的に個人で増やしていくための戦略になります。
当然、お金が増えていくにつれて、各ステージではスタイルを微妙に変化させていくことも求められるわけですが、それも含めた総体としての戦略が、ぼくの師匠の手法なんですね。
100万到達、1000万到達といった具合にステージが上がっていくに連れ、トレーダー心理はだんだんと守りに入っていくことになります。
これは、だれだってそうです。
そういう状況にいたっても、あくまで今ある
「自分のカネ」
を最大限増やしていこうとするのが、ぼくの師匠の手法なんですね。
そこの考え方についてはもう本当に徹底していて、たとえば、もう当初の自己資金が10倍になったんだからそろそろ潮時だろう、なんて考え方は、微塵もありません。
そういう点を、ぼくがみなさんに伝えるときは、やや現代的な物言いになる可能性があるってことですね。
これはかなり微妙なニュアンスのちがいでしかないと思いますが、ぼく自身すでにブログやツイッターで発信しているときに、そういうことを感じることがあるので。
それはどういう表現かと言われると、パッと具体的にはすぐ思いつかないんですが。
感覚的なことですよね。
少なくとも、ツイッターで今日急に
「1億稼ぐまでは、すべてを犠牲にしてがんばろう!」
みたいなことをぼくがつぶやいたら、たぶんびっくりされると思うんです。
そういう言い回しは、ちょっと時代に合致していないというか。
なんというか、高度経済成長期を牽引した上司世代の指導を受けて、家庭を犠牲にしてがんばるサラリーマン像と、イクメンがもてはやされる時代の会社員像は、ちがうって話に近いですよね、これは。
実際にFXに本気で取り組んでいくときは、どちらかというと
「すべてを犠牲に~」
のマインドで臨んでほしいんですけどね。
でも、ぼくは弟子入り記事以外ではそういう雰囲気は出さないようにしているんです。
映像制作会社社長の師匠
今日は、FXの師匠に会う日。
じつは、2年ぶりなんですよねー。
コロナの影響とかいろいろあって、、、
そんな理由で、早起きしたところ。
と、いうことで、おはようございます(^^)!
— 大手企業為替担当DakarのFX雑記! (@111coffeeBreak) August 14, 2020
↑今はもうそんなにちょくちょくは会えない日々ですが。
ぼくのFXの師匠は、元々はテレビ局で報道畑をずっと歩んできた方なんですね。
すでに自己都合退社してたんですが、昔の縁で今も会社を経営している、という状況で。
実際にぼくがはじめて会った当日も、仕事があった故の赤坂だったみたいです。
まぁ、赤坂でテレビ局って言ったら、もうどこの局かはわかると思いますが。笑
報道のセクションもさまざまな部署に分かれていて、ぼくの師匠は特に政治や金融に強いというだけの
「単なるテレビマン」
だったんですね。
これ、ご自身の言葉です。
つまり相場に関しては、元々プロフェッショナルではないんです。
プロとは仕事柄、かなり多岐にわたって人脈を築いていた人なんですが、自身は自宅に、普通に量販店で購入したPCを用意してFXをしていた方。
だから、目線は本当に「普通」なんですね。
弟子入りを決めた背景としては、じつはそんなところもあったんです。
マスコミ業界を骨の髄まで熟知している人で、取材の申し入れなどは徹底してすべて断る方針。
個人的に気が合うメンツのみで周囲を固めるタイプの人なんですね。
ぼくの場合、いざ独り立ちした後は、もう年に数回しかコンタクトしないような間柄になってしまってますが、ぼくの師匠は、厳しくも優しい方でした。
そうですね。
この際、どうやって会ってもらうところまでこぎつけたかっていう話も、書いておきましょうか。
話を、冒頭まで戻しましょう。
最初は本当に会ってもらうのさえ大変で、どうしようかなーと、考えてたんですよ。
メールなんか、最初の2、3通は完全無視でしたし。笑
そして、そうなってくると、やっぱりそこは、いろいろと作戦を考え始めますよね。
なんとか弟子入りさせてもらうために。
当時ぼくが考えたこと
トレーダーへの弟子入りは普通、そのトレーダーが得る「利」がなければ、まずできないです。
これはぼく自身が身をもって感じたことなので、たしかです。
弟子入りは普通は、それこそぼくがかつてかなり緊張して師匠にお会いした時のように、いろいろなツテをたどり、さらにはちょっとした工夫を施し、ようやく会ってもらえる、というような類のものになります。
自分なりに奥深いところまでさまざまなものをかき分けかき分け進んでいかないと、たどり着かないようなところに、道が開かれているようなイメージですよね。
いわゆる「ちょい悪オヤジ」のぼくの師匠。
ぼくはお会いする前からトレーダーとしての腕は聞いていたので、ぜひ弟子入りしたいと思ってたんですね。
だから、ぼくとしても、はじめて会うときは、いろいろと考えて臨みました。
もちろん一定の額は包んでお渡しするんですが、それだけじゃダメ。
トレーダーの間ではそこそこ知られていた方なので、ぼくみたいな輩からは一定間隔でよく面会希望の連絡をもらっていたんですよね。
それは、ぼくもわかってました。
じゃあ、どうしようか?と。
そこは作戦ですよね。
次から次へと湧いてくる「アリ1匹」に過ぎない自分を、いかに大きく「見せる」か?
なるべく、はじめの一歩で懐深くにまで入り込みたいですからね。
そこでぼくが実行した作戦が、
「仲値公示の時間帯の実需為替取引が相場に及ぼす影響概観」
のレポートを、まとめてご提供するというものでした。
それは、今現在、このブログで誰でも入手することができる「仲値公示FX戦略」の原型になったものです。
値踏みされたDakar
仲値公示FX戦略は、この後に、ぼくのトレード仲間とのやりとりの末に「今のかたち」になりました。
トレード技法として確立していったのはもっと後だったってことです。
ちなみに、ぼくの師匠はEAをつくれるんです。
現在、師匠はぼくの仲値公示レポートをロジックの原点として、月平均15万円ほどを叩き出しているそうです。
(ここまでの結果を出すには、一定の自己資金を要するということは書き添えておきますが)
一応ぼくの勤め先とぼくの立場というのは、世間的には知名度があり歴史もあるものなので、説得力があるだろうと踏んだんですよね。
最初は明らかに「値踏み」されてました。
ある程度の人物精査を経て、ようやく教えを乞うことになったんですね。
でも、とても繊細な方なので、ちょっとでも信用に揺らぎが生じたら、そこでキッパリ辞める、ということを言われてました。(もちろんぼくは、そんなことにはならない自信はありましたが)
結果、10ヶ月間ドップリ弟子入り。
半年くらい経過したときには、「もういいだろ」と言われてましたが、ぼくが食い下がりました。
10カ月ならば、季節要因の把握がだいたい1周しますからね。
師匠の言い分は、
「俺も、人に教えるのは、教わったからだ」
ということでした。
けっこうなご年齢なのに、かなりやんちゃなぼくの師匠(師匠なのにすごい言い方ですけど)なんですが、やはり常識人というか、
「人生のテーマはヒトとヒトのつながりの豊かさだ」
というモットーのとおり行動しているところがすごい人で。
手法の本質
つまりですね、ぼくの師匠は、もう何にもとらわれることなく、ただ純粋にひたすら自分のお金を最速で増やしていくことだけにフォーカスして、自身の手法をつくりあげたんですよ。
そういう手法というのは、通常、書籍や一般的なサイトなどで公開されているようなものとは、ちょっとちがいますよね。
なんというか、一般論の斜め上をいくというか。
ある意味なんでもアリなので、普通、どうしても自然発生的に、無意識的につくりあげてしまう
「初心者がやってはいけないこと」
も、ぼくの師匠のスタンスだと逆にガンガンやっていくようにしていたり。
そこは、いかにも個人戦略らしいところです。
そういうのって、ありますよね?
なんでも、ちょっとだけずる賢くなれたりするだけで、飛躍的に腕が上がったりするじゃないですか。
えげつなく勝っていくには、そういういわば
「あざとさ」
みたいなものも身につけていかないといけないわけで。
そういうところをことごとくひろって資金の回転率を最大限に上げていたのが、師匠のやり方だったんです。
そしてそれは、当然、ヘッジファンドの職場にある専門的なPCはもっていなくても、個人が自宅でつくりあげることができる環境からはじまる分析過程なわけです。
ぼくは当時、そういう師匠の考え方、スタンスを知り合いから聞いて、弟子入りしたんです。
ぼくがFXをはじめた頃って、世間的にはFXがものすごいブームになったちょっと後、わりと落ち着いてきた時期なんですよね。
そういう時期にまだまだ現役のまま凄腕のFXトレーダーとして名を馳せていた人。
そういう人なんです。
このへんは、ある意味わかりやすいですよね。
2000年代から2010年代までずっと生き抜いてきたってことなので。
世の中には、メディアなどに出ずとも真の実力者ってもう本当にたくさんいるんです。
場数がちがう
ぼくの師匠に言わせると、このへんは
「踏んできた場数がちがうから」
ということになるんですよね。
師匠の口癖のようなものっていくつかあるんですが、その中のひとつがコレなんです。
やはり、人生の先輩から教わると学ぶことはそれだけ濃くなります。
違うんですよ、見える視点が。
例えば30代前半での相場への構え方と60代後半の人の相場への構え方って、明らかに違くて。
前者なんかは、もうとにかく稼げるだけ稼ぎたい、なんていう場合がほとんどなんですよ。
ところが、失礼ですが60代後半ともなると、もう今あるお金から単利で毎月一定額抜ければいい、くらいの思想になってくるんです。
60代後半の凄腕トレーダーに若い時がむしゃらになって稼いでいた手法を教わることに意味があるか?ですが、これはご本人への質問の仕方を工夫する限り、ものすごい意味はあります。
その方が自分に精魂込めて手法を伝えたいという気持ちがあれば、きっと自身の経験から相対的な相場展開の説明も織り込みながら手取り足取り教えてくれるはずなんですね。
その相対的な説明の比較対象は、自身の経験してきた相場すべてですからね。
若いトレーダーは、どうしてもここの点で見劣りしてしまうわけです。
自分と同年代のトレーダーって、5年以上継続的に取り組んでいくスタイルを会得したい場合は、ぼくは少し教わる価値は落ちるんじゃないかと思っています。
というのは、会話において共感できる部分は多いけれど、学びは少なそうだから。
結局、そのトレーダーがこれまで見てきた相場って、自分とそんなに大差ないわけで。
差があっても、せいぜい2〜3年とかって話が多くて。
師匠の言葉
ぼくの師匠の場合、当時50代前半。
億の大台に乗ってもスキャルピングを継続している点にも、またスタイルがよくあらわれている人なんです。
よくあるのが、億までいけばスイングに切り替えたほうが利益率は良い、なんて考え方なんですね。
でも、ぼくの師匠はこれ、全否定で。
このあたりの話、ぼくの師匠に言わせるとこうです。
- 億まで稼いだスタイルはスキャルだったわけだ。ようやく見つけた、スキャルなら金が増えるという方程式をなぜ自分から投げ出す?
- なぜスイングでも継続して稼げると言える?それは誰が保証する?NYから東京に移る時間帯で稼ぐスキルはスイングじゃ生きないだろう?
- スイングに必要なスキルを学ぶ時期に成績が伸び悩むことを加味してそれでもスイングに移行するべきだと主張されたとする。ロットを上げないまさにその時期に、格好の大相場が来たらどうする?どう責任とる?
こうです。
どう思います?これ。
ちなみにこの言葉は、当時のメールでのやりとりから抜粋したものなので、生の師匠の言葉です。
ぼくなんかは、当時まっさらな素人FXトレーダーだったので、こんな風に言われたら、もうこの考え方を吸収するのみですよね。
「なるほどなるほどー。」
という感じで。
たまにぼくのブログのお問い合わせ欄に、なぜまだスキャルなんかやってるんですか?という質問をいただくんですが、ぼくの場合は、師匠のスタイルの模写から入ってるので、微塵もスイングに移行とか考えてないわけです。
もちろん、これは
「億を超えたらスイングに移行すべきという考え方は間違い」
とかそういうことを言っているわけじゃないです。
そうじゃなくて、ぼくの師匠のスタイルだと、そのままスキャルを継続したほうが利益率が高くなると見込める、ということです。
一番大きな学び
ぼくが師匠から教わったテクニックで一番大きな学びだったと感じているのは、トレードの終わらせ方についてです。
利確ではなく終わらせ方という言い方になるのは、スキャルだからですね。
エントリーとExitを繰り返すスキャルピングって、その繰り返しの辞め時がすごく重要なんですよ。
師匠のやり方って、相場を大きくトレンド相場とレンジ相場に分ける攻め方だったんですが、この2種類の相場において、それぞれトレードの終わらせ方についての考え方はちがうんですよ。
トレードを終える、まさにそのタイミングに関する学びが、なぜぼくにとってそんなに大きな学びになったかというと、これは冒頭に書いた話が深く関係しています。
それまでのぼくは、チャートを見るときにイメージしていたのは、たった1本の水平線だったんですね。
つまりそれは、
「ここで買う」
もしくは
「ここで売る」
という、まさにそのたった1回の取引のためのラインです。
実需の取引はそれだけで終えるものだったので、それ以上の思考は不要だったんですよ。
それが、個人でFXをするとなると、損切りも含めて、合計3つのポイントをイメージする必要が出てきたわけですね。
エントリー、利確、損切りの3つです。
もちろん、FXをするということは自然とそうなるということは百も承知だったわけですが、いかんせん、その具体的戦略はあまりイメージがなかったぼくにとって、師匠の手法はものすごく画期的だったわけです。
1995年から
状況を客観的に考えてみます。
FXって、国内では1995年に解禁になったじゃないですか。
それから、ひと山あててやろう、と意気込んでこの世界に飛び込んだ大多数の人は、何度も相場に挑みながら自己資金を減らし続け、最終的に撤退を余儀なくされたわけです。
その中で、何千分の一、何万分の一の確率で生き残った相場参加者。
そういう人たちっていうのは、もう本当に死に物狂いで相場に挑んでいたわけですよ。
そういう状況下では、とても第三者に自身の手法を教えながらリアルタイムで自分も戦っていくなんてことは、しにくかったわけです。
でも、時代が変わったんでしょうね。
そういう何万人という犠牲者の次に出てきた世代というのは、その先輩トレーダーの背中を見ていろいろ学ぶことができるわけです。
ぼくなんかは、まさにそういう世代で。
為替相場で証拠金取引なんて言われても、当時はFX会社に踊らされて資金投下するだけの人が本当に多かったそうです。
次の世代に伝授されていくFX手法は、すでにかなり理解が容易なレベルにまで昇華してきていると思っています。
経験で培っていくしかない時代にFXをしていた人は、ちょっと大変だったと思います。
だって、自分のお金を実験台にしてトレードを学んでいくしかなかったわけじゃないですか。
でも今は、あふれる情報の中で選択さえ誤らなければ、きちんとした手法を体得することができるわけです。
もう本当に、この点については感謝あるのみですよね。
ぼくは、そういう大きな
「FXの歩み」
みたいなものも感じながら、情報発信をしているような感じです。
師匠から教わったことを、自分の言葉で、現代的に発信、拡散していきたいんですよ。
ぼくの師匠も、今も昔もバリバリの副業トレーダー。
副業全盛期の今の時代に、マッチした投資戦略としてご提供できるんじゃないかな、と考えているんですよ(^^)
むしろ書け?
今月、銀座にオープンした投資家バーが、ぼくのまわりではわりと話題。
カップウィズハンドル、飲んでみたいですね。笑
スタッフ募集中みたいなので、応募してみてもいいかも。
少なくとも億トレに出会う確率は、普通に生活するよりも飛躍的に上がるハズ。
ぜひRTを(^^)b#Stockpickers pic.twitter.com/aVhvkCOTyI
— 大手企業為替担当DakarのFX雑記! (@111coffeeBreak) March 13, 2021
↑ぼくの師匠、ひょっとしたらこういうバーにも出没するかも?
こんなところかな。
あまり掘り下げすぎてもアレなので。笑
でも、こういう師匠の話なんかも、今後また書いていきたいですね、このブログで。
今のぼくのFXのやり方は、師匠譲りのものなので、師匠のことを知ってもらうことで、よりぼくの手法の理解も深めることができると思うんですよ。
ぼくの場合、学生時代のゼミのメンバーなんかもマスコミに勤めている人が多いんですが、じつは師匠も大学の先輩にあたります。
じつは、今までは師匠に、
「おれのこと書くのはタブーな。」
と言われてきてたんですよね。
ぼくとしては、ブログをつくった当初から、いろいろと書かせてくださいって懇願してたんですよ。
でも、
「軽く見られたくない」
ということで、これまでは許可がおりてなかったんです。
それが、ぼくが雑誌に掲載されたりするようになってから、少しずつ考えが変わり始めて。笑
決定打は、ぼくがFXの書籍の監修をしたことでした。
あのことがあって、ようやく許可が出て。
許可というか、むしろ
「なんで俺のこと書かないの?」
と言われ。笑
もうぼくとしては、
「書いていいんですか!!!!」
って話ですよね。笑
「いつのまに、そのような御心変わりを!」
という感じ(^^;)
でもそうしてようやく、ぼくの希望と、師匠の現状の思いが合致したんです。
ぼくの師匠、今はわりとオープンに自分の投資スタイルとか語ってるみたいです。
ちょくちょくバーでブランデー飲むのとかも好きな人なので、ひょっとしたら赤坂をうろちょろしてれば、そのうち会えるかもです。
酔って、
「俺の弟子がとうとうFXの本だしやがってよ」
とか言ってたら、ぼくの師匠の可能性アリです。笑
Dakar
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